予測変換が医者である自分を思い出させる
予測変換が医者である自分を思い出させる
昔、英語の授業で習ったA remind me of Bの構文です。
無職になって数ヶ月経過、
来年臨床に戻った時に、
今まで息をするように出てきた医学単語、
外来での円滑な表現を果たして取り戻せるのかどうか、
ふと不安に駆られます。
そんな私が、自分が医者であることを思い出す瞬間は、
LINEで「可能性」と書きたくて、
「かのうせい」と打つと、
まだ予測変換1位に「化膿性」と出てくる時。
日常会話では決して使わない、少しぎょっとさせる単語ですよね。
数ヶ月前までは化膿した部位を持つ患者さんをよく診察していたので多用していました。
忘れた方が幸せ?
見られたら恥ずかしい予測変換もある。
iPhoneに突然表示される「数年前の今日」の写真に目を見開く時もある。
自分が忘れていてもiPhoneは覚えている。そんな時代。
よく、女性は上書き保存、男性は名前を付けて保存、と言いますね。
私は自分が忘れっぽいという自覚があるので、
忘れたくないからこそ頻繁にiPhoneのメモ、リマインダーを使います。
そして大切なメモはEvernoteにコピーアンドペーストして保存。
ふと読み返すと誰かにされたこと、当時考えていたことを今の自分がどれだけ容易に忘れていることか驚きます。
しかしせっかく元来、上書き保存の脳みその女性に生まれたかもしれないのに
それに抗おうとすることが幸せに直結するかどうかは疑問です。
忘れた方が楽なこと、今を楽しく生きられることもたくさんあるのも事実です。
夫のヨッチャンは男だけど
名前を付けて保存どころか、
保存ボタンをクリックし忘れて閉じてしまってることが多々。
立ち所に忘れます。
先日は、
「渡英前の最後の夜に行ったお寿司屋さん、チェーンだけど美味しかったよね」
と言ったら覚えてないと。
行ったことも覚えてない。
この人を今後美味しいレストランに連れて行っても無駄だなと思ってしまいました。
良いことも忘れるけれど、悪いことも忘れるので、彼はとっても幸せそうです。
私は嫌なことは今後の教訓にしなければとメモするので永遠に忘れずに、
嫌だったことを糧にして生きていく…
iPhoneがどんどん頭良くなっているので、ある程度は機械に記憶分野を任せて、
人間は自然に覚えたり忘れたりするくらいの方が
より良い人生に直結するのかもしれません。
メモをやめた方が幸せになれる説、
提唱するけど私はメモをやめられないなー。
経験や知識を失うのが怖い。
AがBを思い出させるっていうのは自然だけど、
メモしてるから覚えているというのは本来忘れるべきことも無理に忘れさせない不自然な行為なんだろう。
わかっちゃいるけどエイコの人生向上計画は続く。
Kind regards,
Ako